2016年1月21日木曜日

ビバークとキャンプ

先日、ニコニコ動画にキャンプの様子をアップロードしたところ、

「ツェルトなのにグランドシートとかインナーとか、(プ」

というような皮肉をいただいた。
そう、それはもっともな感想だと私も思う。


ツェルトは、本来の意味合いは「遭難対策」だからだ。
ツェルトの底は底割れになっていて、登山靴のまま被れるようになっている。
体調不良、怪我、登山路の土砂崩れ、天候の急変、歩行時間の計画失敗、など、意図しないところで一晩を過ごさねばならなくなったとき、ツェルトは風雨などから守ってくれる、重要な役割がある。


そのようにシビアな使用状態を求められるツェルトなのに、テントと同じような扱いをするなんて、というわけだ。

イメージとしては確かにそうなのだが、私の場合はそのままの意味のテント代わりなので、きちんとクローズドな状態で使用し、底部分は石や小枝などで穴が開かないようにグランドシートで守る。

ツェルトを使う理由はごく単純。軽いから、だ。
たったの400gしかない。
1人用の山岳テントは、ダブルウォールもシングルウォールも、どちらもおよそ1.2kgほど。
ツェルトであれば圧倒的に軽くて済む。
それに、私は登山では、たまに膝をやられるので、ダブルストックを常備している。
ツェルトはこのストックをポールとして使うことができるので、用具の兼用=重量の低減が可能になるのだ。

ストックを準備するほどでもないキャンプの場合は、ULドームシェルターという、いわばドーム型のツェルトもよく使う。


これは、普通のドームテントと同じで自立するし、バグネットのおかげで虫からも守られる。
ただ、ツェルトと比べて居住性が格段に上か、といえば、実は座って頭のつかえない位置はドームの頂点である真ん中のみで、案外、単純な三角テントのツェルトのほうが頭の空間の自由度が高かったりする意外な一面もある。

登山の場合、宿泊にはいくつか種類がある。
1.小屋泊り
2.避難小屋の利用
3.テント場(テン場、と言われる)の利用
4.フォーカスト・ビバーク
5.フォースト・ビバーク
といったところだ。

このうち、最も担ぐザックが軽いのが小屋泊まりだ。なにしろ布団と食事が用意されているのだから、残念気味なホテルに泊まるのと変わりがない。ただし、ビジネスホテルより高くつく場合も珍しくないし、ハイシーズンともなれば布団1枚に3人で寝る、なんてこともあるらしい。

避難小屋を積極利用する登山者も多いみたいだが、賛否両論あるようだ。
避難小屋とは元々は緊急避難に要するもので、常時開けておくことが前提だ。
しかし、実は積極利用を促している避難小屋もあるそうで、状態維持や不具合のチェックなど、常に人目があるほうがいい、という考え方もあるのだろうか。

山小屋近くのテント場は、ごく一般的なテント泊の利用場所である。
水場もトイレもあるし、山小屋で食事やビールをいただける(もちろん有料)ところも多い。

問題は、残りのふたつ。

フォーカスト・ビバークとは、簡易露営、と言われ、いわば計画的に登山行程中に宿を張ることをいう。いわゆる野宿だ。
雪山や沢登りでよく見られる方法だ。
しかし、原則的に、登山エリアでの幕営許可場所というのは限定されているものであり、許可された場所以外でのテント泊などは原則御法度である。
いわゆる闇テン、というやつだ。
フォーカスト・ビバークは、いわばこの闇テンになるケースがほとんどで、トイレの問題、食事で出る残り汁や飲み残しを捨てたり、テント設営のため地均しなどで地形に手を加えたり、あるいは植生の上にテントを張って圧迫したり、焚火、たとえ簡易的なネイチャーストーブなどを使ったとしても、燃焼で木が爆ぜたり、火の粉の飛散などで山火事となる可能性があったり、非常に問題の多い行為ともいえる。
”ルール”という点からすれば、確かにこのように否定されるべき行為だ。
しかし、私はそうでない視点からも見れるのではないか、とも思う。


小屋泊まりでもテント泊でも、フォーカスト・ビバークでも、露営の原則は「痕跡を残さず」であること。最近では「来た時より綺麗に」なんてスゴイ表現までされている。
そうであるならば、これはルールはルールとして、これまでワンダー・フォーゲルの原点としての野宿が黙認されてきたところがある。
最近、登山やキャンプだけでなく、自転車のロードレーサーや公園のボール遊びや子供達の歓声にまで、なんでもかんでもやたらにルールを振りかざして原則論をもって禁止!禁止!と叫ぶ輩が多すぎるが、彼らは心の余裕が無いのではないか。
登山やキャンプに話を戻せば、確かにルール上は、指定キャンプ地以外での野営は禁止である。
しかし、ルールはルールとして、人間の営みにはモラルやマナーといった、許容の心がある。
もちろん、それがルール無視の言い訳になってはならないし、野グ○や食事のゴミや直火などが”黙認”できるわけがない。それらの痕跡が発見されれば、厳しく全面禁止で締め付けられても仕方があるまい。

いわばフォーカスト・ビバーク、あるいは野宿といわれる行為は黙認されてきたものであり、人目を忍んでひっそりと楽しむべき行為で、もちろん痕跡など残してはならないのである。
地元の農家の人に見つかって怒られた場合は、直ちに謝罪して退去すべき行為なのだ。

痕跡を残さず、もちろん人目にもつかず、そこまで謙虚に慎み深く楽しむならば、林業の人も、山小屋の人も、山岳警備パトロール(警察官)の人も、場合によっては見て見ぬふりをしてくれる場合があろう。
ただし、それが許されるかどうかは行為者本人の判断ではもちろん無く、それを許す側の、管理者や取締る人や組織、つまり、社会の側がどうするかを決める。
ここを間違ってはならない。原則はあくまで禁止あるいは非推奨な行為であり、容認に甘えていいわけではない。

残りひとつは、フォースト・ビバーク、いわゆるよく言われる”ビバーク”というやつで、不時露営を指す。
つまり、緊急事態により、止む無く一晩を過ごすことだ。
これは、否も応も無い。命を保つことを優先させなければならない。
ただし、これとて突き詰めれば、そもそもレジャーで危険なところに踏み込み、自ら危機を招いたのだから、ツェルトを用いて一晩を過ごす上で野グ○や直火をして自然を損なうくらいなら死ね、という言い方も出来る。
この視点は、実は先ほどのフォーカスト・ビバークのルール論vs容認論と同じで、ビバークの危険を伴うような山域へ行くことは、そもそもが自然へのダメージの可能性を前提としているのだから、ツェルトで生き残るなんて姑息な事を考えず、潔く死ね、という言い方とイコールなのだ。
ルール原理主義は、こういう物言いをする人が今は多い。


人間とは裸の猿のことで、やはり自然に抱かれ、癒しや潤いを感じる動物の一種類であるのと同時に、人間とは狂った猿でもあり、自らの生存を賭して、自然を切り開き、手を加え、未知の領域に踏み込んで繁栄してきた種でもある。
そのどちらもが人間の営みなのだから、キャンパーや登山者をルールのみで非難や指弾するのは幼稚な行為だろう。
自らが便利さと快適さを享受している都会の風景を、自然に対して日々罪業を悔いている現代人は、いったいどれほどいるのか。

別にキャンプや登山と人間の罪業を結び付けなくてもよさそうなものだが、奥多摩あたりをうろうろしているととんでもない場所でテントを張っている輩も少なくないわけで、それは問題にすべきことだと私も思う。

反対に、奥多摩小屋のテン場で少々遅くまで騒いでいる若者に「静かにしろ!」と怒鳴りつける初老のオヤジもいて、そういうのは私は好ましく思わない。大目に見てやれよ、と思う。
私自身も実は苦手なのだが、そこは耳栓やスマホで音楽なんかで対処できるし、何より、せっかく仲間たちと来て、非日常な1800mの風景に身を置き、ハメを外して騒いでいる若者なんて、うらやましいではないか。
大いに楽しめよ、とニヤニヤしてしまう。これぞ人生の宝だ、と思う。


やはり人の社会だから、良いことも悪いこともない混ぜにになっている。
自分も人間社会の一員だから、そこからは逃げられない。
それは分かっているのだが、だからこそたまにはザックひとつで誰も来ない山中にツェルトでも張って、隔絶された一晩を過ごしたいのだ。
そういう趣味を続けるには、極力批判や非難を浴びないように、人目を避け、痕跡を残さず、地元の人や林業の人が見ても跡が全く分からないくらい、場合によっては”来たときよりもきれいに”すれば、またそこを使わせていただくことができるかもしれないではないか。
「キャンプ禁止」の立札なんか立てられたら、もう一巻の終わりなのだ。

2 件のコメント:

  1. はじめまして、
    ほとんどの動画見させて頂きました。色々と参考になります。
    自分も壱号さんに近い思いがあります。陰ながら応援しています。
    今後も動画楽しみにしています。

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    1. こんばんは~、ありがとうございます。
      たまーにはクルマで豪華キャンプやってみたい、とも思うのですが、
      果たして自分が楽しめるのか、ちょっと疑問だったりもします・・・
      このスタイルが合っているのかもしれないです。
      またよろしくお願いします。( ´ー`)ノ

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