山頂は十数名の登頂者で賑わっていた。
祠を見上げ、適当な場所にザックを下ろす。
とりあえず、一安心だ。
山頂の強い風に火照った体を任せ、強い日差しを遮るものなく浴びる。
山頂標識をスマホカメラでぱちりとやりたいが、大勢の人々の順番待ち。うーん。
小高い岩に若い男性が上半身裸で登り、それを彼女さんが撮っているのを待ち、ようやく標識を撮れた。
まあ、いいさいいさ。若いってことは素晴らしい。彼らにとっても素晴らしい思い出になってくれるだろう。
私は山頂で騒ぐ若者が好きだ。それは、素晴らしい体験ではないか。老い先短い我々が顔をしかめたって、みっともない僻みや妬みにしか見えなかろう。
微笑ましくチラ見していればいいのだ。
私にしては長い時間、山頂に留まっていた。そろそろ降りよう。
今回、どうもハイドレーションが吸い難いな、とプラティパスの残量をチェックしてみると、なんとほとんど残っていなかった。
・・・まあ、これから下りだから、大丈夫だろう。
と、この時は考えていたが、とんでもない大甘な間違いだった・・・
10:30、下山開始。
さあ、気を引き締めていこう。
登山の事故はほとんどが下山時に起きている。
帰りの道程も厳しい危険個所が盛りだくさんだ。
おまけに体調が悪い。
慎重に慎重を重ねて行こう。
しかし、下り始めてすぐに異変に気が付く。
おかしい。下りなのに、やけに息が切れる。
どうなっているんだ。
高度のせい?いや、どうもそうではない。
しばらく下りて一旦ザックを下ろし、行動食を取りながら振り返ってみる。
夏季、高い気温、強い日差し。
飲み難いハイドレーション、いつもより多い水の消費量。
激しい息切れ、めまい、立ちくらみ、吐き気。
3,000m近い高所。
・・・・・こりゃ、熱中症と脱水症状だな。
まだ症状はごく軽い。
歩くのに辛いほど体調が不良なわけではない。
水は、残量は少ないが残ってはいる。
登山道はポピュラーなコースで人通りは多い。
念のため、アマチュア無線機とスマホは持ってきている(スマホは圏外だが)
最悪、テントやシュラフはある。
ゆっくり、時間をかけて下ろう。
さすがに心肺は楽だが、それでもこれで下りかというほどに息切れがする。
少しずつ、はっきりと吐き気が強くなってくる。
荒涼とした東斜面から植生のある巻き道に入り、いくつかの岩稜を超え、六方石まで辿り着いた。
まばらな樹木の生える地帯に踏み込むと、大きな岩を超えるポイントがいくつも出てくる。
ちょっとしんどい。
比較的ゆっくりなペースで進んでいき、直登との分岐を超え、六方石まで辿り着いた。
ここから、数mの岩の攀じ登りが連続する。
そして、駒津峰までは登りになる。
なかなかにしんどく、たちまち息が荒くなる。
しかし、残りの水は少ない。
口の中の渇きを僅かに緩和させる程度にハイドレーションを噛む。
相変わらず体調は悪化していて、いつもでは考えられないほど頻繁に長めの休憩を必要とした。
12:20、最後の岩壁をよじ登り、なんとかかんとか駒津峰まで戻ってきた。
本当はここで、朝作ったおにぎりを食べたいが、如何せん強い吐き気に苛まれてとてもじゃないが喉を通らない。
はっきり言ってかなり大きい余計な重量だが、捨ててしまうわけにはいかない。
荒い息を整え、吐き気を堪え、僅かに口に残り少ない水を含み、重いザックを背負い直す。
さあ、ここからは大岩の登降は出てこない。
基本下りのみなので心肺は楽だ。
ペースを保って下るのみだ。
駒津峰を後にして、低いハイマツの樹林帯に踏み込む。
そうそう、このハイマツの香りが、今日だけは余計に吐き気を誘ってしまっている。
いつもは独特の鼻に残る匂いもそうキライではないのだが、今日はダメだった。
まとわりつく虫もメンタルの安定を邪魔する。
下りでもありペースを上げたいと気は急くが、体調不良は足元も若干怪しく感じてきているし、下りのみのくせにある程度行くと、激しく息が切れる。これはタダゴトではないぞ。
駒津峰から仙水峠までの樹林帯を抜ける下りの標準歩行タイムは1時間。しかし、私には永遠の1時間に感じられた。
夕方までに仙水小屋に着ければいいや。そう自分を慰め、いつ終わるとも知れない樹林帯を下っていった。
何度もザックを下ろして長い休憩を取った。
それでも往きにも通った道なので、まだ終わりを知っているだけ精神的には楽だった。
13:53、通常の1.5倍の時間をかけて、ついに仙水峠まで戻ってきた。
再びザックを背負い直し、仙水峠を出発。
ここから仙水小屋までは30分の道のりだ。
しかし、この岩稜地帯では陽を遮るものが無い。喉を潤したい気持ちを抑え、岩稜帯を抜けたところの樹林帯まで我慢、と自分に言い聞かせた。
水はあと一口分しか無い。
ぐらつく足元を慎重に踏みしめ、進む。
ようやく樹林帯の端まで辿り着いた。
ザックを下ろし、プラティパスのハイドレーションホースを抜き取り、キャップを開けて最後の水を喉に流し込む。ちょっと生き返る。
後は仙水小屋まで辿り着くだけだ。
それにしても長かった。しかし、なんとか辿り着けそうだ。
ツアーの数名さんが先行している。例によって団塊世代あたりの方々だ。
さすがにペースが合わず、早く行ってくれないかなあ、などど不遜なことを考えたりしたが、自分もほうほうの体でなんとかここまで下りてきた情けない状態なので、おとなしく距離を開けて着いていく。
14:20頃?、仙水小屋に到着。
テントは増えていたが、今朝私が張っていたスペースは空いていたので、再び同じ場所にザックを下ろした。
とりあえず場所を確保して水場へ。
急に飲み過ぎないように注意してごくごくと飲み、1Lと2Lのプラティパスをいっぱいにした。
小屋に行き、再度テント泊料金を払う。ホントは長衛小屋にこの2泊目を張る予定だったが、こんな状態では明日の仙丈ケ岳登山は無理だろう。
諦めて撤退だ。
それに、この仙水小屋に宿泊される他の登山者の方々の話を聞いていいると、長衛小屋は例のイベントでお祭り騒ぎらしい。
どのみちこれから更に下っていくのもこの体調では無理があるし、行ったところでテント場は難民キャンプ状態だろうし、おとなしくこの静かな仙水小屋でもう1泊させていただいたほうが良い。
珍しくペグも打たずに、荷物をシェルターに放り込み、もぐり込んだ。
まずはマグカップに粉末のアクエリアスを入れ、2杯立て続けに飲む。これで少し落ち着いた。
娑婆に降りたところでネットに出回っている話題の中から「アクエリアスとポカリスエットの違い」というのが出回っていて、なんというタイミング、いや、その話、もう1週間前に聞きたかった、などと思ったのであった。
登山にはアクエリアスよりポカリスエットのほうが良さそうだ。
昼を食べてない。しかし、遅い昼めし、というにはもう夕方近い。
べたべたになってしまった行動食のミックスナッツは食欲をそそらない。
中途半端なこの時間はお昼寝でもしてしまったほうがよさそうだ。
そういえば、昨夜、いつも通りシェルターの入口側を頭にして寝たが、若干頭下がりのような気がした。
ちょっと逆にしてみようか。
・・・・うんうん、やっぱりこっちのほうが寝やすいな。
シュラフを腹掛けにしてうとうとしていた。
明日は日曜日。帰るにしても混み合うだろう。
どうせなら朝一番のバスで去ってしまったほうが良さそうだ。
北沢峠発のバスはAM7:20が一番早い。これで帰ろう。
帰路のバス&電車リレーも調べてきてあった。事前に調べておいてよかった。
それに、頭を洗いたい。
仙水小屋の洗面場所は水道(天然)が3つならんでいるが、まさかここでというわけにはいかない。
どのみちシャンプーなどは使えないので、水で洗うだけだ。が、実は「ドライシャンプー」なるモノを持ってきている。
これは入院などで頭を洗えない場合に水無しで頭皮と毛髪になじませるモノだそうだ。
かなり強めのアロマな香りがする。
これを、途中の渓流で頭を水洗いし、水洗いの後にこのドライシャンプーを使ってみよう。
それにしても、甲斐駒ケ岳は北岳よりずっと厳しかった。いや、季節の影響もあったのかもしれない。
ザック重量も高低差も行動時間も北岳のほうが厳しかった。しかし、夏季の高温、岩壁の登攀、など、体に負担となる要素がずっと大きかった。
なんということだろう。3泊4日のつもりで持ってきた食材などの重量は、1日分をそのまま持って帰ることになってしまった。
まあ、仕方がない。
18:00時、敗北に打ちひしがれて夕飯を食う(嘘)
既に空腹を感じるくらいに体調は回復してきたが、まだがっつり食うには不安があった。
念のため消化のよさそうなものを、ということで、緑のたぬき。
まあカップ麺なのでアレだが、うどんなのでちょっとはいいと思う。
ウィスキーも控えた。
回復したとして、明日、予定通り仙丈ケ岳へは登山可能だろうか。
もちろん、気持ちとしてはやってみたい。
しかし、あれだけヒドイ目にあったのだ。不安はあった。
自分で感じる体調として大丈夫だろうと思えても、ここは山の中でテントに寝泊まりしている異常な日常である環境だ。どれだけダメージが蓄積しているか、分かったもんじゃない。
ましてや仙丈ケ岳は3000m以上の高峰だ。自分で万全と思える自信がなければやめておくべきだろう。
行動食もヤバくなっちゃったことだし。やめておいたほうがいいだろう。残念だが。
となれば、撤退は明日の日曜日。これは混雑することも考えてなるべく早目の撤収がよさそうだ。
バスはAM7:20。遅くとも7時には北沢峠に着くこととして、この仙水小屋を出るのは余裕をみて6時。だが、途中でアタマをがしがしと洗いたいとなれば、5時半くらいでなければ余裕が無い。
朝起きてうだうだとコーヒーを飲んだり何か食べたり、のんびり撤収するとして、2時半くらいに起床すればちょうどいいか。
おう。意外と早起きしなきゃダメだな。まあ、これが山の生活というものだろう。
20:00。早々にシュラフにもぐりこんで寝た。
翌7月1日、AM2:30。
再びダース・ベイダーのテーマで目覚める。
のんびり撤収すると決めた時間割だから、のんびりする。まずはドリップ・コーヒー。
昔から好きなキリマンジャロ。・・・ん?あれ?なんか味が違うような?体調のせいだろうか。
食糧は余っているから何を選択するかだが、結局ノーマルなカップヌードルにした。
いつもシーフードを選ぶので、たまにはこちら。
それにしても早く起き過ぎたかな。時間があり余っている。洗面コーナーで歯を磨いた。
AM5:30、撤退開始。ザックが大して軽くなっていない。
思ったより膝はしっかりしている。ほとんどダメージを感じない。高低差が1000m未満だったことと、体調不良で下りのペースが遅かったからだろうか。
来た道をどんどん下る。
なるほど。テントの中にいた時はあまり感じなかったが、やっぱり体調は戻ってはいない。
無理せずによかったのかもしれない。
と、渓流の途中、ちょっとした平場に下り、ザックを下ろしてアタマをばしゃばしゃと洗った。
うひー、つめてー。
もちろん、シャンプーなどの類は使わない。ただ渓流の流れる清水で頭を洗う。
そして、頭を速乾タオルでいい加減に拭く。乾いてはいないが、ドライシャンプーなるものを試してみる。
なるほど、わからん。
しかし、アロマの良い香りがする。さんざん汗かいたアタマのままバスや電車に乗るよりはずっといい。
ただ、この香り、意外に短時間で香らなくなる気がする。まあ、強い香りのままいつまでも匂ってくれてもそれはそれで困るので、これでいいのだろう。
06:00、長衛小屋の側を通過。
やはり凄いテントの数。まるで難民キャンプのようだ。
日本の夏山は、どこもこのような状態になりやすい。
昨日、この長衛小屋に幕営していたら、きっとリラックス出来なかっただろう。
(次の仙丈ケ岳で同じ目に合うとはこの時は露知らず・・・)
06:10、北沢峠に到着。思ったよりずっと早く着いた。いや、早過ぎた。
とりあえず待合室にザックを下ろし、荷物を整理。もうGoproは使わないか。
サコッシュもしまう。代わりにフリースジャケットを出して置く。この気温でここにじっとしていると、じきに肌寒くなるだろう。それは予想通りだったわけで、いくらもしないうちに出番となった。
AM7時少し前にバスが来る。あれ?このバス?時間が違う?でも仙流荘に行くということで、乗り込んだ。
こうして、南アルプス・甲斐駒ケ岳の登山は終了した。
色々とミスや失敗、思うようにいかないところはあったが、それでもいい登山だったと思う。
甲斐駒ケ岳は雄々しかった。なんといっても駒津峰から間近に見た威容は忘れられないだろう。
またひとつ、思い出の山が出来たわけだ。それはありがたい登山だった。
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